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桂浜 1 の続きです。
浜に降りる道は二つあります。
龍馬の銅像の正面に延びる階段を降りるか、銅像を正面に見て左手方面に向かうと見えてくる坂道を降りるかです。
坂道から降りると、桂浜水族館の真横を通ります。
小さくて古い水族館です。
年中無休、9時から17時まで。
公式SNSも見ていて楽しいです。
→桂浜水族館
→桂浜水族館公式X
階段の方は、ちょっと狭め。坂道の方が広くて通りやすくなっています。
どちらから浜に降りるかはお好みでどうぞ。
降りるとそこは桂浜。
砂浜の中に通っている道を歩けば靴が汚れる心配はありません。
不意に波が高くなる時があり、波打ち際は危険なので近寄らないでください。
もちろん遊泳禁止。波が危険なだけではなく、急に深くなっているそうです。
この辺りは遊泳禁止ですが、浦戸大橋の向こう側の種崎には海水浴場があります。
この矢印の場所にも、ぜひ行ってみてください。
道に沿って歩けば自然と向かうことになります。
続きはこちら → 桂浜 3
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舞台刀剣乱舞の維伝で龍馬と陸奥守が「よさこい節」を歌っていたことを覚えている人もいるかと思います。歌詞の中に桂浜が出てきましたね。
今も桂浜は、高知市街地からは少々離れていますが観光地として親しまれています。桂浜公園は全面リニューアルでとてもキレイになりました。
龍馬の銅像も立っていますし、近くには龍馬記念館があり企画展だけではなく龍馬関連の常設展示もあります。刀剣乱舞ファンのみなさんには桂浜と龍馬記念館をセットで訪れることをお勧めします。
バスで桂浜に行く場合、路線バスの「桂浜」行きか、観光地を結ぶ「MY遊(まいゆう)バス」に乗ります。
どちらも桂浜が終点です。高知駅からでも、はりまや橋からでも乗れます。
(MY遊バスは、休日やシーズン中は混むので、始発の高知駅から乗る方が、座れる確率が高くなります)
路線バスだと、はりまや橋から30分ほどです。
「MY遊バス」は路線バスとは別の道を通るため、50分ちょっとかかります。
料金ですが、路線バスだと、高知駅から800円。はりまや橋から730円。
MY遊バスなら1300円。
路面電車の均一料金区間内が無料になったり(路線バスではなく路面電車だけです)
桂浜から片道だけ路線バスに乗れたり(利用できるバス停が指定されているのでよく確認を)
坂本龍馬記念館や桂浜水族館などの入場料が割引になったりします。
MY遊バスの方が料金的にはお得です。ただし桂浜までの移動時間が路線バスよりちょっと長めで、途中カーブが続く山道を通ります。
曜日や時間帯によっては混み合います。
こちらの記事も参考にどうぞ→「桂浜への行き方」
地図を見ると、高知市には浦戸湾という細長い湾が深く入り込んでいることが分かります。その湾の入り口にあるのが桂浜です。
湾の入り口はとても狭くなっていて、浦戸大橋が架かっています。橋の向こうは龍馬の継母の出身地である種崎という場所で、龍馬が最後に帰郷した際に潜伏した家も種崎にありました。
終点である桂浜バス停は、桂浜駐車場の入り口近くにあります。
広めの待合室があり、バスが来るまでの待ち時間に使えます。
シーズン中や休日などは、バスの時間が近付いてくると少しだけ混み合いますが、それ以外の時間帯は大抵は人もおらずのんびり座れます。
タクシー乗り場もすぐ近くにあります。
ロッカーもあります。
飲食店やお土産物屋さんの建物に囲まれた中心には、屋根のあるテラスがあります。
観光案内所もあります。
バスを降りた待合室からは見えませんが、待合室を出たところにあるオープンカフェの右側の通路をまっすぐ進むと見えてきます。
浜に向かうには、バスの待合室を出てオープンカフェの右側にある飲食店の建物に沿って右に曲がり、正面に見えるお土産物屋さんの奥に進むと、広い階段が見えてきます。
階段がきつい人にはスロープもあります。
階段の先は、右の坂道を下りると水族館と浜。
左に向かうと龍馬の像です。像の近くにも、浜に降りる階段があります。
像は海に向かって立っているので、背後から近付く感じです。
ここでもぜひ、刀剣乱舞ONLINEのアプリのお供機能で撮りたいところですね。
続きはこちら → 桂浜 2
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高知城の記事はこちら → 高知城 1 高知城 2 高知城 3
高知城への行き方です。
高知駅から行くなら、
1 JR「入明(いりあけ)駅」から歩く
2 路面電車を乗り継いで電停「高知城前」まで行ってから歩く
3 路線バスでバス停「高知城前」まで行ってから歩く
はりまや橋から行くなら、路面電車が本数も多くてお勧め。
バスでも行けます、はりまや橋の案内所で乗り場と路線を確認しておくと乗り間違いを防げます。
路線バスと路面電車だけで使える、地元のICカードがあります。
SuicaもICOCAも使えません。
地元のICカードか現金必須です。
以下、詳しく説明します。
まずは高知駅から行く場合。
本数は少ないのですがJRで入明まで行って歩くのが早いと思います。
ただし10分ちょっと歩きます。
時刻表はこちら→高知駅時刻表
「伊野」「須崎」「窪川」方面。
特急に乗ってはいけません。
「高知」の次が「入明」です。2~3分で着きます。190円です。
高知の普通列車の乗り降りの仕方は、こちらの記事を参考にしてください。
→獄舎の一部が移築されている神社への行き方
JRは一時間あたりの本数がとても少ないので、長く待たないといけないようなら、路面電車か路線バスで「高知城前」まで行って歩く方法になります。
こちらの方が歩く距離は短いので、歩く距離の短さを優先するなら最初から路面電車か路線バスを選ぶのがお勧めです。
高知駅の北側にあるバスターミナルで、「高知城前」バス停まで乗り換えなしで行けるバスを聞いてみてください(乗り換えると時間もかかるしバス代も高くなります)。
乗り換えなしだと10分ほど、240円です。
本数は路線バスよりもずっと多いのですが、はりまや橋で乗り換える時間がかかります。
(たまに、乗り換えなくてもいい便がありますが、大抵は乗り換えが必要です)
乗り換えの電車が中々来なかったとしても、高知駅から20分くらいで着きますが、通勤通学の時間帯、特に雨の日は、路面電車はすごく混むのでもっと時間がかかります。
乗り換えの際は、はりまや橋で230円を払って降りる時に、乗り換え券を必ず貰ってください。運転手さんがすぐに渡せるように用意していますので、乗り換え券をくださいと言えば貰えます。
路線バスと路面電車を比べると、乗り換えの手間がないという点では、路線を間違えなければバスの方がお勧めです。
本数が多いという点では路面電車の方がお勧めですが、はりまや橋で乗り換えないといけません。
状況に応じて選んでください。
路線バスだと240円(乗り換えなしの場合。乗り換えるともう一度240円払うことに)
路面電車だと230円です。
(路面電車で行く場合、はりまや橋で乗り換えますが、高知駅から乗り、電停「はりまや橋」で運賃箱に230円を入れて降りる際に「乗り換え券」を貰えば(すぐに渡せるよう運転手さんが用意しています)、乗り換えた後(乗車の際には整理券を取る)、「高知城前」で降りる際はお金ではなく、乗り換え券と整理券を運賃箱に入れればいいです)
下の地図は、はりまや橋方面から行く場合の、「高知城前」バス停で降りてからの道のりです。
バス停は日本銀行前にあります。すぐ近くの百十四銀行のある交差点を右に入りまっすぐ歩くと、お城が見えてきます。
路面電車で行く場合も、電停は同じ交差点付近にありますので、百十四銀行とは反対側(北に向かって)信号を渡りまっすぐ歩くと、お城が見えてきます。
はりまや橋から行くなら、路面電車でもバスでも乗り換えなしで行けます。
バスの場合は乗り場と方向を間違えないよう、案内所で確認しておくと確実です。
路面電車は「鏡川橋・朝倉・いの」方面行きならどれに乗っても行けます。
高知城の記事はこちら → 高知城 1 高知城 2 高知城 3
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「龍馬のうまれたまち記念館」は、龍馬の家があった辺りにあります。
行き方は一番下を見てください。
桂浜にある「坂本龍馬記念館」とは別です。
高知市内中心部にある、龍馬の生家近くの小さな記念館です。
小さな記念館ですが交通の便が良くて行きやすく、龍馬がどんな空気の中で育ったのかを感じることができます。
記念館前の道はこんな感じ。
車も割と通りますが、写真右側に広い歩道がありますので安心です。
歩道と車道の間には、水路が通っています。
龍馬について調べていると「水道町」という地名が目に入ることがあるかもしれません。
その「水道」が、当時からあったこの水路です。
記念館の入り口。
小さな記念館です。入館料は一般300円。
龍馬が育ったのはどんな町だったのかがわかります。
龍馬の家の離れの再現もあり、靴を脱いで上がれます。
龍馬へのメッセージを書けるノートがあり、上の写真にも山のように積まれているのが写っています。
みなさんもぜひどうぞ。
記念写真コーナー。
自分が隣に座ってもよし、刀剣乱舞ONLINEアプリのお供機能で撮っても良し。
持参したグッズと一緒に撮っても良いですね。
当時の町の様子。
刀剣乱舞で言えば、幕末の土佐の刀達が知っている景色でもありますね。
写真左側に、今も残っている水路のある通りが見えています。
右側は、多分路面電車が走る通り。当時は今よりずっと細い道でした。
お土産物は、受付のすぐ左側です。
トイレも綺麗です。
年中無休で朝8時から最終入館は18時30分まで。
行きやすい場所にあるので、ぜひどうぞ。
うまれたまち記念館のサイトはこちら。
https://ryoma-hometown.com/
規模は小さいのですが、企画展もチェックしてみてください。
また、ボランティアガイドさんがいるときは館内をじっくり案内してもらえますし、まち歩きガイドも数コースあります。詳しくは上記のリンクからどうぞ。
行き方ですが、龍馬誕生地の碑の近くです。
こちらの記事も参考にどうぞ→龍馬の生家があった辺り
路面電車でも路線バスでも行けます。
バスで行く場合、路線を間違えないように注意してください。
はりまや橋や高知駅のバス案内所で確認するのがお勧めです。
市内均一料金内なので240円です。
高知駅から行く場合は特によく確認してください。高知駅の北側にあるバスターミナルで、乗り換えなしで行けるバスを聞いてみてください。
(乗り換えると時間もかかるしバス代も高くなります)
最寄りのバス停は「上町2丁目」です。
(龍馬の誕生地の碑に寄ってから行くなら「上町1丁目」で降ります)
高知駅から路面電車で行くなら、はりまや橋で乗り換えます。
「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。
230円です。
高知駅から行く際は、はりまや橋での乗り換え時に「乗換券」を忘れずに貰ってください。
高知駅から乗り、電停「はりまや橋」で運賃箱に230円を入れて降りる時に「乗り換え券」を貰えば(すぐに渡せるよう運転手さんが用意しています)、乗り換えた後(乗車の際には整理券を取る)、最寄りの電停「上町一丁目」で降りる際は、お金ではなく乗り換え券と整理券を運賃箱に入れればいいです。
路線バスで行くなら「上町2丁目」
路面電車で行くなら「上町一丁目」
が、最寄りになりますが、1丁目と2丁目を間違えてしまっても、そんなには離れていません。
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龍馬が生まれた育った家は、ここにありました。
生誕地の碑があります。
路面電車が通っている大通り沿いです。
最寄りは路面電車も路線バスも「上町一丁目」。
路面電車の方が確実ですし本数も多いのでお勧めです。
路線バスは乗る路線を間違えないよう、高知駅や、はりまや橋の案内所で確認してから乗ってください。高知駅からでも、乗り換えずに行ける便に乗れば240円で行けます。
高知駅から路面電車で行く場合は、はりまや橋で乗り換えになります。
(たまに、乗り換えなくても行ける便がありますが、基本は乗り換えです)
龍馬の生家がある辺りへ、はりまや橋から路面電車で行くには 「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。
230円です。 高知駅から行く際は、はりまや橋での乗り換え時に「乗換券」を忘れずに貰ってください。
高知駅から乗り、電停「はりまや橋」で運賃箱に230円を入れて降りる時に「乗り換え券」を貰えば(すぐに渡せるよう運転手さんが用意しています)、乗り換えた後(乗車の際には整理券を取る)、最寄りの電停「上町一丁目」で降りる際は、お金ではなく乗り換え券と整理券を運賃箱に入れればいいです。
11月の生誕祭には、たくさんの花で飾られます。
路面電車の通りに面していて騒がしい雰囲気の場所なので、ゆっくり過ごすという感じではありませんが、きっと当時も、この辺りは活気に満ちていたのではないでしょうか。
家紋のあるベンチとピストルの写真があるベンチが、車道に背を向ける形で置かれています。
生誕地の碑は建物に挟まれていますが、隣の病院や南側にあるホテルも全部龍馬の家の敷地でした。表玄関は路面電車の軌道辺りにあったという話もあるくらいなので、かなり広い屋敷だったことが分かりますし、裕福だったという話も頷けます。
実際に行ってみると、敷地の広さを実感できると思います。ぜひ、周囲を歩いてみてください。
ちなみに、本家である「才谷屋」跡も、歩いて数分の所にあります。
今は学習塾になっています。
龍馬の生誕地から才谷屋があった場所までの地図はこちら
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「高知城 2 」の続きです。
順路に沿って進みます。
本丸御殿と天守閣が両方残っているのは高知城だけだそうです。
本丸にしては小さいなという感想を持つ人もいるかもしれません。二の丸や三の丸に広い御殿ができるまでは、藩主は実際にここに住んでいたとのことですが、高知城は一度火災でほぼ全焼しており、初代の本丸は豪華だったようです。現在の二代目は質素です。火災から再建まで結構年月をかけているので、財政難だったのかもしれません。
広い御殿に引っ越してからは、本丸御殿は生活の場から儀式や応接などの場に変わったようです。
手前が藩主の部屋。一段高くなっています。
刀剣乱舞ONLINEのイベント「文久土佐」での高知城三連戦。
二戦目のマスは、本丸御殿内部ではないかと考えています。
この辺りではなかったでしょうか。
藩主の部屋の後方から、小さな渡り廊下を経て天守閣の建物に入ります。
中は色々な資料が展示されています。
階段がとにかく急です。足元にも頭上にも気をつけてください。ロングスカートで行く場合は裾を踏まないよう要注意です。降りる時はもっと要注意です。
当時の高知城の模型もあります。
写真に黄色と赤色の線を付け加えました(実際の模型にはありません)。
黄色がメインの観光ルートです。
赤の線はこのブログで紹介した、黒鉄門から本丸に向かうルートです。
「二の丸」「三の丸」は、今は何もない広場なのですが、当時はこんなに広い屋敷がありました。
右部分の奥の屋敷には、藩主の住まいがあり、政務もここで行っていました。
今では僅かに、藩主の部屋に面していただろう庭の名残が、広場の一角に残っているだけです。
右側手前の屋敷も、もう何も残っていません。
当時の人々が見上げていたお城は、今とは違って、たくさんの屋根が見えていたのではないでしょうか。
現存しているのは、写真左半分の天守閣周辺のみです。
急すぎる階段を頑張って登った先に、刀剣乱舞ONLINEのイベント「文久土佐」での高知城三連戦の三戦目の舞台となった最上階があります。「特・刀剣乱舞花丸・雪ノ巻」では、陸奥守吉行が一人で向かった場所ですね。
刀剣乱舞ONLINEアプリの「お供機能」を使って存分に写真を撮ってください。
ベランダ部分(高欄)にも出られます。
高所恐怖症の人は難しいかも。
「文久土佐」の背景イラストもこんな感じでしたね。
登る時に苦戦しそうな急な階段ですが、本当に危ないのは降りる時です。足元と頭上には気を付けてください。
また、刀剣乱舞ファンのみなさんの中には、キャラクターグッズをバッグに忍ばせたり、ぶら下げている人もいるかと思います。
階段で苦戦しているうちに落とさないように注意してください。
私は足腰に全然自信がないので、いつも手すりに両手でしがみつくようにして降りています…
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「高知城 1 」の続きです。
天守閣や本丸御殿に向かうルートは二つあります。
まずは、広い階段を登り切って、当時は橋廊下と呼ばれていた、家臣の詰所だった建物内を通る、殆どの観光客が利用するルート。
もう一つは、少し回り道をして「黒鉄(くろがね)門」から向かうルート。少し時間はかかりますが、階段も観光客も少なめになります。
刀剣乱舞ONLINEのイベント「文久土佐」では、高知城は三連戦でしたね。
個人的な解釈なのですが、一戦目のマスは、この「黒鉄門」前辺りではないかと考えています。
藩主の儀式の時にだけ利用されたという、小さめの門です。
高知市街を一望できるとても見晴らしの良い場所ですが、当時は写真左側にも塀があったようです。
右側の壁のすぐ向こうは本丸です。
この門から攻め込もうとしても道が狭いため、銃で攻撃するために壁に空けられた穴から狙われ放題で逃げ場もなく、攻略は中々難しそうです。
広い階段を延々と登るメインルートからでも黒鉄門には行けますが、階段も観光客も少なめになるので、黒鉄門から入るルートを紹介しておきます。
大手門から始まる広い階段を頑張って登っていると、左に入る小さな道が2、3か所あります。どこを入っても、上へ上へと向かえば天守閣に行けるのですが、結構回り道になってしまうこともあります。
それほど時間のロスもなく行くとすれば、「詰門」脇の道から入っていくのがお勧めです。
天守閣の建物に沿って歩くルートです。
広い階段を登り始める前、大手門を入ったところにある案内板で先に「詰門」の場所を確認しておくのがお勧めです。
ここが本丸の入り口かと一瞬間違える観光客もいるかもしれませんが、最初から間違えやすいように造られています。この辺りは高知城の防衛上とても重要で、少し手前は小さな桝形になっているのですが、当時は門がありました。敵が門を突破できても狭い桝形の上から攻撃される、それをすり抜けられても正面に広い階段と大きな門のようなものがあるのでつい行ってしまう、すると石垣の上からまた攻撃されてしまうという仕組みです。しかも詰門の向こうに本丸への道が続いているわけではありません。メインルートは写真右手にある階段です。
詰門は、空堀に架かる橋と家臣の詰所を兼ねた建物です。物置や貯蔵庫の役割もあったようです。
この詰門の正面まで行くと、左に小さな道があります。
天守閣のすぐ側を通る道です。
忍び返しや石落としが残っているのは高知城だけらしいです。
この細い道から、黒鉄門に行けます。
途中に鐘撞堂があります。最初は二の丸にあり何度か場所が変わり、戦後にこの場所に移されたそうですが、武市先生や龍馬はこの鐘の音を耳にしたことがあったのでしょうか。
黒鉄門を抜けると、小さな広場があります。
メインルートから行ってもここに着きます。
刀剣乱舞ONLINEの「文久土佐」でも舞台の「維伝」でも、南海先生が「本丸御殿前」と言っていた場所です。
本丸御殿や天守閣に行くには、入り口で靴を脱ぎ(靴箱あります)料金を支払います。
18歳以上500円、未満は無料。
ほんの少しですが、グッズも売っています。
続きはこちら → 「高知城 3」
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2025.09 内容を見直しました
変更や間違いがあればその都度修正していきます
刀剣乱舞ONLINEのイベント「文久土佐」でも舞台刀剣乱舞の「維伝」でも、またアニメ「特・刀剣乱舞花丸・雪ノ巻」でも、最後は高知城が舞台になりました。
その高知城は、現存するお城の中では小ぶりですが、パンフレットには「日本で唯一本丸の建築群が全て現存」と書いてあります。規模は小さいのですが、ぜひ訪れてみてください。
まず大手門を抜けると、左手に階段があります。延々と階段を上ります。
階段の登り口付近にあるトイレはウォシュレットで綺麗なので、お城に登る前にここのトイレを使っておくことをお勧めします。
数は少ないのですが無料ロッカーもあります(17時15分まで)。
階段の登り口にあるのは、板垣退助の像。
舞台刀剣乱舞の維伝でも、一瞬名前が登場しますね。
龍馬が「乾退助」と呼びかけた人です。
吉田東洋に見いだされ、特に維新後に大活躍した政治家で、昔の100円札の肖像にまでなりました。でも二十歳ぐらいまでは、喧嘩が元で蟄居生活を命じられるような、勉強嫌いで喧嘩ばかりを求める困った不良でした。龍馬並みに資料の多い人なので、気になる人は調べてみてください。
階段は最初は、登りやすいように感じます。
しかし徐々にしんどくなってきます。天守閣の最上階へまで道のりは結構疲れます。無理をしないようにゆっくり登ってください。
夏はかなり汗だくになると思います、運動不足気味なら息も切れます。
広い階段を登っている途中、かつては広い屋敷があった、三の丸という広場があります。
階段からは見えませんがここにもトイレがあります。本丸御殿や天守閣にはありませんので、トイレはここで済ませておきましょう。
続きはこちら→「高知城 2」
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龍馬が14歳から19歳まで通っていた日根野道場は、はっきりした場所がもうわからず、この辺りにあったという表示がかろうじて残っているくらいです。
上の地図は路面電車の「上町一丁目」電停からの道のりです。
龍馬の生まれたまち記念館や、龍馬の生家があった辺りも近いので、行き方についてはこちらの記事を参考にどうぞ
→ 龍馬の生まれたまち記念館
→ 龍馬の生家があった辺り
上町一丁目交差点をまっすぐ南へ向かうと、短い坂道に突き当ります。
その坂道を上がってすぐ右手の辺りに、道場跡の表示があります。 見つけやすいはずですが、季節によっては写真のように生い茂る草に埋もれそうになっているかもしれません。
せっかく来ても、残念ながらこれしかありませんが、登ってきた短い坂道を川の方に降りると、こんな景色が目に入ります。
当時から、この辺りは「築屋敷(つきやしき)」と呼ばれていたそうです。 龍馬が生まれる130年ほど前、町民達が許可を得て石垣を築いたのが始まりです。
当時の雰囲気を少しだけ味わえます。
また、のんびり散策するのにもちょうどよい道です。通勤通学の時間帯以外は時折散歩する人がいる程度です。
堤防の向こう側に降りることもできます。向こう側にも川沿いの道があって、鏡川に架かるいくつかの橋の下を通るため、信号を待つ必要がないのでよく自転車が通ります。ウォーキングや犬の散歩をしている人もよく見かけます。車は入ってきません。
時間があれば、龍馬も親しんだ鏡川を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか。
夕方には鏡川の魚が跳ねます。西日がとても眩しいのですが、龍馬も同じように眩しいと思いながら、この辺りを歩いたことがあるかもしれません。
そのまま西に歩くと、30分近く歩くことになりますが、以蔵さんの首が晒された鴈切河原まで行けます。
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武市先生の家と道場があったのは、この公園のすぐ近くでした。
上の地図は路面電車の電停「菜園場(さえんば)」からの道のりです。
電停「菜園場」までの行き方はこちら
→「市内中心部にあった、武市先生の家と道場があった辺りへの行き方」
公園内には「武市半平太邸跡」の石碑があります。
公園の北の端、電車が走る通りから見ると一番奥の辺りです。
家の様子を描いたものや、実際に家と道場があった場所がわかる案内板もありますが、私有地のため立ち入りはできません。
この公園は「横堀公園」といいます。
公園の近くにある川を「新堀川」といいますが、当時は「横堀」と呼んでいました。
はりまや橋が架かっていた「堀川」は当時は「縦堀」と呼んでいて、この公園の南、路面電車が走っている辺り一帯に、堀同士の大きな交差点がありました。
船着き場もあり、大きな船が土佐にやってきた時は途中で小舟に荷物を移し替え、堀を通って来ていたそうです。この一帯は水運の中心地として賑わっていたのでしょう。
武市先生が開いていた道場は、そんな活気に満ちた場所のすぐ近くにありました。
龍馬も武市先生の道場にはよく来ていたそうです。どれかの橋を渡っていたはずなので、もしかしたらはりまや橋も渡ったことがあるのかもしれません。
下の地図を見てみると、以蔵さんの家からも近かったことがわかります。
道場に通う時は、以蔵さんの家の近くの山田橋だけではなくて横堀に架かる橋も渡っていたでしょうし、その橋からはたくさんの行き交う小舟が見えていたのではないでしょうか。
※以蔵さんの家があったと思われる場所までの道を表示しています。
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