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「龍馬のうまれたまち記念館」は、龍馬の家があった辺りにあります。
行き方は一番下を見てください。
桂浜にある「坂本龍馬記念館」とは別です。
高知市内中心部にある、龍馬の生家近くの小さな記念館です。
小さな記念館ですが交通の便が良くて行きやすく、龍馬がどんな空気の中で育ったのかを感じることができます。
記念館前の道はこんな感じ。
車も割と通りますが、写真右側に広い歩道がありますので安心です。
歩道と車道の間には、水路が通っています。
龍馬について調べていると「水道町」という地名が目に入ることがあるかもしれません。
その「水道」が、当時からあったこの水路です。
記念館の入り口。
小さな記念館です。入館料は一般300円。
龍馬が育ったのはどんな町だったのかがわかります。
龍馬の家の離れの再現もあり、靴を脱いで上がれます。
龍馬へのメッセージを書けるノートがあり、上の写真にも山のように積まれているのが写っています。
みなさんもぜひどうぞ。
記念写真コーナー。
自分が隣に座ってもよし、刀剣乱舞アプリのお供機能で撮っても良し。
持参したグッズと一緒に撮っても良いですね。
当時の町の様子。
刀剣乱舞で言えば、幕末の土佐の刀達が知っている景色でもありますね。
写真左側に、今も残っている水路のある通りが見えています。
右側は、多分路面電車が走る通り。当時は今よりずっと細い道でした。
お土産物は、受付のすぐ左側です。
トイレも綺麗です。
年中無休で朝8時から最終入館は18時30分まで。
行きやすい場所にあるので、ぜひどうぞ。
うまれたまち記念館のサイトはこちら。
https://ryoma-hometown.com/
規模は小さいのですが、企画展もチェックしてみてください。
また、ボランティアガイドさんがいるときは館内をじっくり案内してもらえますし、まち歩きガイドも数コースあります。詳しくは上記のリンクからどうぞ。
行き方ですが、龍馬誕生地の碑の近くです。
こちらの記事も参考にどうぞ→龍馬の生家があった辺り
路面電車でも路線バスでも行けます。
バスで行く場合、路線を間違えないように注意してください。
はりまや橋や高知駅のバス案内所で確認するのがお勧めです。
市内均一料金内なので200円です。
高知駅から行く場合は特によく確認してください。高知駅の北側にあるバスターミナルで、乗り換えなしで行けるバスを聞いてみてください。
(乗り換えると時間もかかるしバス代も高くなります)
最寄りのバス停は「上町2丁目」です。
(龍馬の誕生地の碑に寄ってから行くなら「上町1丁目」で降ります)
高知駅から路面電車で行くなら、はりまや橋で乗り換えます。
「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。
200円です。
高知駅から行く際は、乗り換え時に「乗換券」を忘れずに貰ってください。
最寄りの電停は「上町一丁目」です。
路線バスで行くなら「上町2丁目」
路面電車で行くなら「上町一丁目」
混同しないよう気をつけてください。
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龍馬が生まれた育った家は、ここにありました。
生誕地の碑があります。
路面電車が通っている大通り沿いです。
最寄りは路面電車も路線バスも「上町一丁目」。
路面電車の方が確実ですし本数も多いのでお勧めです。
路線バスは乗る路線を間違えないよう、高知駅やはりまや橋の案内所で確認してから乗ってください。高知駅からでも、乗り換えずに行ける便に乗れば200円で行けます。
高知駅から路面電車で行く場合は、乗り換えになります。
乗り換え方法については、こちらも参考にどうぞ。
→「武市先生の、高知市内の家と道場があった辺りへの行き方」
龍馬の生家がある辺りへ、はりまや橋から路面電車で行くには「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。200円です。
高知駅からはりまや橋経由で乗り換えて行く場合は、忘れずに乗り換え券を貰ってください。
11月の生誕祭には、たくさんの花で飾られます。
路面電車の通りに面していて騒がしい雰囲気の場所なので、ゆっくり過ごすという感じではありませんが、きっと当時も、この辺りは活気に満ちていたのではないでしょうか。
家紋のあるベンチとピストルの写真があるベンチが、車道に背を向ける形で置かれています。
生誕地の碑は建物に挟まれていますが、隣の病院や南側にあるホテルも全部龍馬の家の敷地でした。表玄関は路面電車の軌道辺りにあったという話もあるくらいなので、かなり広い屋敷だったことが分かりますし、裕福だったという話も頷けます。
実際に行ってみると、敷地の広さを実感できると思います。ぜひ、周囲を歩いてみてください。
ちなみに、本家である「才谷屋」跡も、歩いて数分の所にあります。
今は学習塾になっています。
才谷屋があった場所はこちらです
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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。
「高知城 2 」の続きです。
順路に沿って進みます。
本丸御殿と天守閣が両方残っているのは高知城だけだそうです。
本丸にしては小さいなという感想を持つ人もいるかもしれません。二の丸や三の丸に広い御殿ができるまでは、藩主は実際にここに住んでいたとのことですが、高知城は一度火災でほぼ全焼しており、初代の本丸は豪華だったようです。現在の二代目は質素です。火災から再建まで結構年月をかけているので、財政難だったのかもしれません。
広い御殿に引っ越してからは、本丸御殿は生活の場から儀式や応接などの場に変わったようです。
手前が藩主の部屋。一段高くなっています。
ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」での高知城三連戦。
二戦目のマスは、本丸御殿内部ではないかと考えています。
この辺りではなかったでしょうか。
藩主の部屋の後方から、天守閣の建物に入ることができます。
まるで蔵の入り口のような雰囲気です。
以前はここでスリッパを履けるようになっていたのですが、現在はコロナウイルスの影響かスリッパが撤去されています。
階段がとにかく急です。足元にも頭上にも気をつけてください。ロングスカートで行く場合は裾を踏まないよう要注意です。
当時の高知城の模型もあります。
写真に黄色と赤色の線を付け加えました(実際の模型にはありません)。
黄色がメインルートです。
赤の線はこのブログで紹介した、黒鉄門から本丸に向かうルートです。
何もない広場を通ってきているのですが、当時はこんなに広い屋敷がありました。
右部分の奥の屋敷には、藩主の住まいがあり、政務もここで行っていました。
今では僅かに、藩主の部屋に面していただろう庭の名残が、広場の一角に残っているだけです。
右側手前の屋敷も、もう何も残っていません。
当時の人々が見上げていたお城は、今とは違ってもっとたくさんの屋根が見えていたのではないでしょうか。
現存しているのは、左半分の天守閣周辺のみです。
急すぎる階段を頑張って登った先に、ゲーム刀剣乱舞イベント「文久土佐」での高知城三連戦の三戦目の舞台となった最上階があります。
さあ、刀剣乱舞アプリの「お供機能」を使って存分に写真を撮ってください。
ベランダ部分(高欄)にも出られます。
高所恐怖症の人は無理です。
現在工事中のため、上の写真の高欄は仮のものです。
こちらの方が、より「文久土佐」の背景イラストに近いですね。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。
これ以後の方が、刀剣乱舞ファンにはお勧めかもしれません。
登る時に苦戦した急な階段ですが、本当に危ないのは降りる時です。
刀剣乱舞ファンの中には、キャラクターグッズをバッグに忍ばせたり、ぶら下げている人がいるかもしれませんが。
階段で苦戦しているうちに落とさないように注意してください。
私は足腰に自信がないので、いつも手すりにしがみつくようにして降りています…
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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。
「高知城 1 」の続きです。
天守閣や本丸御殿に向かうルートは二つあります。
まずは、広い階段を登り切って、当時は橋廊下と呼ばれていた、家臣の詰所だった建物内を通る、殆どの観光客が利用するルート。
もう一つは、少し回り道をして「黒鉄(くろがね)門」から向かうルート。少し時間はかかりますが、階段も観光客も少なめになります。
ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」では、高知城は三連戦でしたね。
個人的な解釈なのですが、一戦目のマスは、この「黒鉄門」前辺りではないかと考えています。
藩主の儀式の時にだけ利用されたという、小さめの門です。
高知市街を一望できるとても見晴らしの良い場所ですが、当時は左側にも塀があったようです。
右側の壁のすぐ向こうは本丸です。
この門から攻め込もうとしても道が狭いため、銃で攻撃するために壁に空けられた穴から狙われ放題で逃げ場もなく、攻略は中々難しそうです。
広い階段を延々と登るメインルートからでも黒鉄門には行けますが、階段も観光客も少なめになるので、黒鉄門から入るルートを紹介しておきます。
大手門から始まる広い階段を頑張って登っていると、左に入る小さな道が2、3か所あります。どこを入っても、上へ上へと向かえば天守閣に行けるのですが、結構回り道になってしまうこともあります。
それほど時間のロスもなく行くとすれば、「詰門」脇の道から入っていくのがお勧めです。
天守閣の建物に沿って歩くルートです。
広い階段を登り始める前、大手門を入ったところにある案内板で先に「詰門」の場所を確認しておくのがお勧めです。
ここが本丸の入り口かと一瞬間違える観光客もいるかもしれませんが、最初から間違えやすいように造られています。この辺りは高知城の防衛上とても重要で、少し手前は小さな桝形になっているのですが、当時は門がありました。敵が門を突破できても狭い桝形の上から攻撃される、それをすり抜けられても正面に広い階段と大きな門のようなものがあるのでつい行ってしまう、すると石垣の上からまた攻撃されてしまうという仕組みです。しかも詰門の向こうに本丸への道が続いているわけではありません。メインルートは右手にある階段です。
詰門は、空堀に架かる橋と家臣の詰所を兼ねた建物です。物置や貯蔵庫の役割もあったようです。
この詰門の正面まで行くと、左に小さな道があります。
天守閣のすぐ側を通る道です。
忍び返しや石落としが残っているのは高知城だけらしいです。
この細い道から、黒鉄門に行けます。
途中に鐘撞堂があります。最初は二の丸にあり何度か場所が変わり、戦後にこの場所に移されたそうですが、武市先生や龍馬はこの鐘の音を耳にしたことがあったのでしょうか。
黒鉄門を抜けると、小さな広場があります。
メインルートから行ってもここに着きます。
刀剣乱舞のゲームでも舞台でも、南海先生が「本丸御殿前」と言っていた場所です。
本丸御殿や天守閣に行くには、入り口で靴を脱ぎ(靴箱あります)料金を支払います。
18歳以上420円、未満は無料。
ほんの少しですが、グッズも売っています。
続きはこちら → 「高知城 3」
高知城への行き方はここをクリック
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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。
ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」でも舞台刀剣乱舞の「維伝」でも、最後は高知城が舞台になりました。刀剣乱舞ファンなら高知城は外せないのではないでしょうか。
その高知城は、他の現存するお城の中では小ぶりですが、パンフレットには「日本で唯一本丸の建築群が全て現存」と書いてあります。規模は小さいのですが、ぜひ訪れてみてください。
天守閣が小ぶりな割には立派な大手門を抜けると、左手に階段があります。
登り口に自由に使える杖があります。他のお城同様、延々と階段を上ります。
階段の登り口付近にあるトイレはウォシュレットで綺麗なので、お城に登る前にここのトイレを使っておくことをお勧めします。
数は少ないのですが無料ロッカーもあります(17時15分まで)。
階段の登り口にあるのは、板垣退助の像。
舞台刀剣乱舞の維伝でも、一瞬登場しますね。
龍馬が「乾退助」と呼びかけた人です。
吉田東洋に見いだされ、特に維新後に大活躍した政治家で、昔の100円札の肖像にまでなりました。でも二十歳ぐらいまでは、喧嘩が元で蟄居生活を命じられるような、勉強嫌いで喧嘩ばかりを求める困った不良でした。龍馬並みに資料の多い人なので、気になる人は調べてみてください。
階段は最初は、登りやすくて杖はいらないように感じます。
しかし徐々にしんどくなってきます。登り口にある杖を使わない人の方がずっと多いのですが、天守閣の最上階へまで道のりは結構疲れます。無理をしないようにゆっくり登ってください。
夏はかなり汗だくになると思います、運動不足気味なら息も切れます。
広い階段を登っている途中、かつては広い屋敷があった、三の丸という広場があります。
階段からは見えませんがここにもトイレがあります。本丸御殿や天守閣にはありませんので、トイレはここで済ませておきましょう。
ここのトイレも綺麗ですが、階段の登り口にあったトイレの方が設備が整っているので、階段を登り始める前に済ませておくのが一番お勧めです。
続きはこちら→「高知城 2」
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龍馬が14歳から19歳まで通っていた日根野道場は、はっきりした場所がもうわからず、この辺りにあったという表示がかろうじて残っているくらいです。
上の地図は路面電車の「上町一丁目」電停からの道のりです。
龍馬の生まれたまち記念館や、龍馬の生家があった辺りも近いので、行き方についてはこちらの記事を参考にどうぞ
→ 龍馬の生まれたまち記念館
→ 龍馬の生家があった辺り
上町一丁目交差点をまっすぐ南へ向かうと、短い坂道に突き当ります。
その坂道を上がってすぐ右手の辺りに、道場跡の表示があります。 見つけやすいはずですが、季節によっては写真のように生い茂る草に埋もれそうになっているかもしれません。
せっかく来ても、残念ながらこれしかありませんが、登ってきた短い坂道を川の方に降りると、こんな景色が目に入ります。
当時から、この辺りは「築屋敷(つきやしき)」と呼ばれていたそうです。 龍馬が生まれる130年ほど前、町民達が許可を得て石垣を築いたのが始まりです。
当時の雰囲気を少しだけ味わえます。
また、のんびり散策するのにもちょうどよい道です。通勤通学の時間帯以外は時折散歩する人がいる程度です。
堤防の向こう側に降りることもできます。向こう側にも川沿いの道があって、鏡川に架かるいくつかの橋の下を通るため、信号を待つ必要がないのでよく自転車が通ります。ウォーキングや犬の散歩をしている人もよく見かけます。車は入ってきません。
時間があれば、龍馬も親しんだ鏡川を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか。
夕方には鏡川の魚が跳ねます。西日がとても眩しいのですが、龍馬も同じように眩しいと思いながら、この辺りを歩いたことがあるかもしれません。
そのまま西に歩くと、30分近く歩くことになりますが、以蔵さんの首が晒された鴈切河原まで行けます。
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武市先生の家と道場があったのは、この公園のすぐ近くでした。
最寄り駅への行き方はこちら
→「市内中心部にあった、武市先生の家と道場があった辺りへの行き方」
公園内には「武市半平太邸跡」の石碑があります。
家の様子を描いたものや、実際に家と道場があった場所がわかる案内板もありますが、私有地のため立ち入りはできません。
この公園は「横堀公園」といいます。
公園の近くにある川を「新堀川」といいますが、当時は「横堀」と呼んでいました。
はりまや橋が架かっていた「堀川」は当時は「縦堀」と呼んでいて、この公園の南、路面電車が走っている辺り一帯に、堀同士の大きな交差点がありました。
船着き場もあり、大きな船が土佐にやってきた時は途中で小舟に荷物を移し替え、堀を通って来ていたそうです。この一帯は水運の中心地として賑わっていたのでしょう。
武市先生が開いていた道場は、そんな活気に満ちた場所のすぐ近くにありました。
龍馬も武市先生の道場にはよく来ていたそうです。どれかの橋を渡っていたはずなので、もしかしたらはりまや橋も渡ったことがあるのかもしれません。
下の地図を見てみると、以蔵さんの家からも近かったことがわかります。
道場に通う時は、山田橋だけではなくて横堀に架かる橋も渡っていたでしょうし、その橋からはたくさんの行き交う小舟が見えていたのではないでしょうか。
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武市先生の家と道場があった辺りに行く際の、最寄り駅までの行き方です。
最寄駅からの道のりはこちらを参考にどうぞ。
→「市内中心部にあった、武市先生の家と道場の辺り」
武市先生の生家とお墓、神社とは別です。
高知市内中心部に開いていた道場の方です。
お墓と神社に行きたい場合はこちら→武市先生のお墓と瑞山神社への行き方
高知市内中心部に開いていた道場の方へは、はりまや橋から徒歩でも行けます。
高知行きの高速バスが停車する「はりまや橋観光バスターミナル」からだともっと近くなります。
公共交通機関で行くなら、路面電車がお勧めです。
最寄りは「菜園場町」電停です。「さえんば」と読みます。
「文珠通」「領石通」「ごめん」方面行き(どれでもよい)に乗ります。
「はりまや橋」電停の次の次です。
市内中心部は路面電車の本数が多いので、電停で待っていればそのうち来ます。
休日の昼間で、一時間に8本はあります。
高知駅から電車で行くなら「はりまや橋」か「電鉄ターミナルビル前 6番乗り場」で乗り換えます。
どちらで乗り換えても歩く距離はそう変わりません。
目的地に近いのは「電鉄ターミナルビル前」の方です(次の電停で降りる)。
高知駅から路面電車に乗り、降りるのは下の地図の電停「はりまや橋」です。
降りる際に電車代200円を運賃箱へ、運転手さんから乗換券を貰います。
路面電車は後ろから乗って前から降ります。
高知駅から出る路線は乗車時に整理券は出ません。
「文珠通」「領石通」「ごめん」方面行き(どれでもよい)に乗り換えるため、別の電停に移動します。
乗り換えの際、乗車時に整理券を取ります。
高知駅から乗った路面電車から降りる際に運転手さんから貰った乗換券だけで乗れます、降りるときに整理券と乗換券を運賃箱に入れます。
「はりまや橋」電停はここ(高知駅から出る路面電車の「はりまや橋」とは別)
「電鉄ターミナルビル前」電停はここ。
乗換券を貰い忘れるともう200円払うことになるので注意してください。
お城辺りや、ひろめ市場辺りから乗るなら、乗り換えずに行けます。「文珠通」「領石通」「ごめん」方面行きに乗ってください。休日の昼間で、一時間に8本はあります。
基本、電停で待っていればそのうち来るのに乗って大丈夫ですが、たまに来る「高知駅」「桟橋」行きは乗らないよう注意してください。 めったに来ませんが、たまに来ます。
「はりまや橋」→「デンテツターミナルビル前」→「菜園場(さえんば)町」です。 200円で行けます。
路線バスで行くのはあまりお勧めしません。
お城方面からバスで行こうとすると、はりまや橋で乗り換えが必要になります。 乗り換えのためにバス停からバス停へ歩く手間を考えると、路面電車が断然お勧めです。
バス代の面から考えても、地元でしか使えないICカードがないと200円を二回払うことになります。
高知駅からバスで行くのも同じ理由でお勧めしません。
バスはお勧めしないのですが例外は、
・空港からの空港連絡バス(空港に行く便では降りられないので注意)
・武市先生の生家と神社からバスで戻ってくる時
どちらも、「菜園場町」バス停で停まります。
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ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」や舞台刀剣乱舞の「維伝」を知っている人なら「はりまや橋」という単語を覚えているのではないでしょうか。
舞台では実際に橋のセットが使われていましたね。
肥前君が待ち合わせに指定したはりまや橋は、現代でも公共交通機関を利用するのに大変便利な場所です。高速バスも空港連絡バスも観光地を巡る周遊バスもみんな、はりまや橋交差点付近のバス停に停まります。路線バスのバス停や路面電車の電停も交差点を中心に複数あり、乗り換えにもとても便利なのがはりまや橋です。
高知駅と並ぶ公共交通の拠点といえますが、コインロッカーとトイレが僅かしかないというのが不便なところです。
これが実際の、現在のはりまや橋です。
今では大通りになり真ん中を路面電車が走るようになり、川は埋められているので橋でもありません。
しかし、舞台刀剣乱舞の維伝で見たのと同じような小さな橋が別にあります。
広い歩道に面した細長い公園の入り口にあり、この橋を渡るのは観光客ぐらいですので、ゆっくり写真を撮れます。
はりま屋という小さなお土産物屋さんと、浜幸(はまこう)という和菓子も洋菓子もあるお菓子屋さんに挟まれた場所にあります。このあたりに行けばすぐにわかります、迷うことはないでしょう。
ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」や舞台刀剣乱舞の「維伝」を思い出しながら、ぜひ楽しんでください。時間があるなら、はりまや橋から高知城まで実際に歩いてみてもよいですね。
はりまや橋に来る観光客の大半は、こういう写真を撮って満足して終わりかもしれません。
刀剣乱舞のアプリのお供機能で写真を撮るのもお勧めですが、せっかく肥前君が指定してくれた待ち合わせ場所です、もう少しだけ観光してみませんか。
実は、はりまや橋には小さな地下広場があります。 単なる地下道なのですが、少しだけパネル展示があります。
観光客向けの赤い小さなはりまや橋から、路面電車の軌道を背にして少し歩くと、地下道への入り口があります。
ここから降りていきます。
暗そうですが中にはちゃんと照明があります。 ただし、人通りは少ないので、昼間に観光しておく方が良いのかもしれません。
地下広場は、赤い小さなはりまや橋から見て、路面電車が走っている通りの向こう側の出口付近にあり、少しですが昔の写真が展示されています。
傘を差した女性が写っているものが、明治の終わりごろに架け替えられた、はりまや橋です。
他にも、当時のはりまや橋辺りから高知駅方面を写した写真もあります。明治の初めの写真のようです。 以蔵さんはここから歩いて10分ほどの所に住んでいましたから、どういう雰囲気のところで10代を過ごしたか、少しだけ伝わってくる気がします。 龍馬がよく行っていたという武市先生の道場も、ここからそう離れていません。
はりまや橋は播磨屋橋といって、江戸時代になってからここに移ってきた御用商人の播磨屋さんと櫃屋さんとの往来のために架けられたのが始まりです。初代の橋かはわかりませんが、長さ十六間、幅は三間という記録があるようです。今でいうなら大体29メートルで幅は3.6メートルぐらい。橋に露店が並ぶようになった頃には、もっと広かったらしいです。
現在のはりまや橋は、交通の要所であり賑わっていますが、当時あった川はもうなく(公園になっています)昔の面影はどこにもありません。「橋」なのにただの道路になっているので、かつては本当につまらない観光地扱いでした。
今は観光客向けの小さな橋ができた分、少しはマシになっています。
舞台刀剣乱舞にも登場したあの風情ある橋は実は公募したイメージらしく、地下道で見られる絵巻では赤い欄干ではない普通の橋として描かれています。
さらに、観光客向けの赤い小さなはりまや橋から見て路面電車が走る大通りの向こう側にある、地下道の出入り口付近には、こんな小さな橋があります。これもぜひ観てください。
明治の終わりに架け替えられたはりまや橋の、保存されていた鋳鉄製の欄干を再利用したものです。
地下広場には、はりまや橋がこの欄干の橋だった頃の写真も展示されています。女性が傘を差している写真です。
はりまや橋付近のコインロッカーですが。
まず、上で紹介した、明治の終わりに架け替えられたはりまや橋の欄干を再利用した橋を渡ってすぐのところにあります。
地図でいえばこちら。
交番とコンビニの間の通路です。
この付近にトイレもあります。この建物の、地下に降りる階段を下りてすぐです。
トイレは上で紹介した地下通路からも行けます。
コインロッカーはもう一か所あります。 はりまや橋から少しだけ歩きますが、「はりまや橋観光バスターミナル」にも、トイレとロッカーがあります。
ロッカーはほんの少ししかありません。
はりまや橋近くの地下のトイレよりもこちらがまだ新しいのでお勧め。歩道沿いにも公衆トイレがあります。 待合室には各種観光パンフレットもあります。 シーズン中でなければ人は少なめです。
このバスターミナルは、高速バスや空港連絡バスの降り場として利用されています(乗り場は別)。
高速バスで高知に来た場合、高知駅の次に、ここに停車します。
(時間帯によっては、近くのバス停の場合もあります)
ちなみに、刀工陸奥守吉行が住んでいたのは、このバスターミナルから見て、電車が走っている通りの向こう側の辺りではと考えています。もっとはりまや橋寄りかもしれませんが。
当時はこの辺りは川や堀に囲まれていて、物流の拠点として活気に溢れていたようです。
武市先生の家と道場があったのも、この近くです。
刀剣乱舞が好きで高知に観光に来たファンにとっては、はりまや橋はただの観光スポットではありません。少し歩きますが、周辺には武市先生の家と道場跡、以蔵さんの家があった辺り、投獄されていた山田番所跡、そして高知城。
せっかく高知に観光に来るなら、たくさん浸って楽しんでください!
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ゲーム刀剣乱舞でも吉田東洋の名前は出てきますが、舞台刀剣乱舞の維伝を知っている人は、さらに印象が強いのではないでしょうか。
実際に気性が荒いところがあったようで、同じ役職の人への態度を「叱ること畜生のごとく」と書かれていたり、口論となった使用人を斬殺してしまったこともあれば酒の席で藩主の姻戚とトラブルになり暴行事件を起こしてしまったりと、いかにも内外に敵が多そうな性格ですが、お殿様からの信頼は厚かったようです。
明治という新しい時代でこの人の教え子達が大活躍している点からも、非常に優秀な人だったことが分かります。
文久2年4月8日、土佐勤王党の刺客により暗殺されました。享年48歳。
龍馬が脱藩してわずか15日後。夜10時頃のことで 雨が降っていたとされています。
その地には、こんな碑が立っています。
場所はこちら。
実際にはこの碑より少し南側とされています。
2018年に開館した図書館の一角にあります。
新しい建物なのでどこも綺麗、トイレもとても綺麗。
さて、吉田東洋はなぜあの時間にあの道を歩いていたのかというと。 お殿様に本能寺の変の講義をして、その後酒肴に預かっていたので帰りが夜10時頃になったようです。
暗殺したのは武市先生率いる土佐勤皇党の中の…3人と書いてあるものもあったり4人と書いてあるものもあったりします。
暗殺を狙って数日前から、二組が組まれ狙っていたのですが中々チャンスが訪れず、さらに組まれた3つ目のグループの3人が実行。そこに駆け付けた他のメンバーがもう1人いたようです。
彼らは西へ向かい思案橋(城下町の西の端。番所があった)近くの観音堂で仲間と合流。 仲間は受け取った首を抱えてさらに西へ向かい、今の鴈切橋の北側あたり、街道の辻に晒したそうです。 以蔵さんの首が晒された鴈切河原のすぐ近くだったのでしょう。
暗殺を実行した三人はそのまま脱藩しています。
東洋の屋敷があったのは帯屋町。今ではアーケード街になっています。
大体、この写真の左側あたりではないかと思っています。 実際に行ってみると、自分の屋敷のすぐ近くで暗殺されたことが分かります。暗殺された場所から南に少し歩くとアーケード街があります。そこを左に曲がって少し歩いた辺りです。
マクドナルドやサンマルクカフェ、ドラッグストアなどがあります。
逆方向にアーケードを進むと、カフェや本屋さん、スタバなどがあります。
ひろめ市場からはりまや橋のさらに向こうまで、途切れる箇所はありますがアーケード街が続いています。
当時の面影は何一つありませんが、雨や強い日差しを気にせず、はりまや橋付近から高知城付近(ひろめ市場)まで歩けるのでとても便利です。
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