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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。
「高知城 2 」の続きです。
順路に沿って進みます。
本丸御殿と天守閣が両方残っているのは高知城だけだそうです。
本丸にしては小さいなという感想を持つ人もいるかもしれません。二の丸や三の丸に広い御殿ができるまでは、藩主は実際にここに住んでいたとのことですが、高知城は一度火災でほぼ全焼しており、初代の本丸は豪華だったようです。現在の二代目は質素です。火災から再建まで結構年月をかけているので、財政難だったのかもしれません。
広い御殿に引っ越してからは、本丸御殿は生活の場から儀式や応接などの場に変わったようです。
手前が藩主の部屋。一段高くなっています。
ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」での高知城三連戦。
二戦目のマスは、本丸御殿内部ではないかと考えています。
この辺りではなかったでしょうか。
藩主の部屋の後方から、天守閣の建物に入ることができます。
まるで蔵の入り口のような雰囲気です。
以前はここでスリッパを履けるようになっていたのですが、現在はコロナウイルスの影響かスリッパが撤去されています。
階段がとにかく急です。足元にも頭上にも気をつけてください。ロングスカートで行く場合は裾を踏まないよう要注意です。
当時の高知城の模型もあります。
写真に黄色と赤色の線を付け加えました(実際の模型にはありません)。
黄色がメインルートです。
赤の線はこのブログで紹介した、黒鉄門から本丸に向かうルートです。
何もない広場を通ってきているのですが、当時はこんなに広い屋敷がありました。
右部分の奥の屋敷には、藩主の住まいがあり、政務もここで行っていました。
今では僅かに、藩主の部屋に面していただろう庭の名残が、広場の一角に残っているだけです。
右側手前の屋敷も、もう何も残っていません。
当時の人々が見上げていたお城は、今とは違ってもっとたくさんの屋根が見えていたのではないでしょうか。
現存しているのは、左半分の天守閣周辺のみです。
急すぎる階段を頑張って登った先に、ゲーム刀剣乱舞イベント「文久土佐」での高知城三連戦の三戦目の舞台となった最上階があります。
さあ、刀剣乱舞アプリの「お供機能」を使って存分に写真を撮ってください。
ベランダ部分(高欄)にも出られます。
高所恐怖症の人は無理です。
現在工事中のため、上の写真の高欄は仮のものです。
こちらの方が、より「文久土佐」の背景イラストに近いですね。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。
これ以後の方が、刀剣乱舞ファンにはお勧めかもしれません。
登る時に苦戦した急な階段ですが、本当に危ないのは降りる時です。
刀剣乱舞ファンの中には、キャラクターグッズをバッグに忍ばせたり、ぶら下げている人がいるかもしれませんが。
階段で苦戦しているうちに落とさないように注意してください。
私は足腰に自信がないので、いつも手すりにしがみつくようにして降りています…
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