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龍馬が14歳から19歳まで通っていた日根野道場は、はっきりした場所がもうわからず、この辺りにあったという表示がかろうじて残っているくらいです。
上の地図は路面電車の「上町一丁目」電停からの道のりです。
龍馬の生まれたまち記念館や、龍馬の生家があった辺りも近いので、行き方についてはこちらの記事を参考にどうぞ
→ 龍馬の生まれたまち記念館
→ 龍馬の生家があった辺り
上町一丁目交差点をまっすぐ南へ向かうと、短い坂道に突き当ります。
その坂道を上がってすぐ右手の辺りに、道場跡の表示があります。 見つけやすいはずですが、季節によっては写真のように生い茂る草に埋もれそうになっているかもしれません。
せっかく来ても、残念ながらこれしかありませんが、登ってきた短い坂道を川の方に降りると、こんな景色が目に入ります。
当時から、この辺りは「築屋敷(つきやしき)」と呼ばれていたそうです。 龍馬が生まれる130年ほど前、町民達が許可を得て石垣を築いたのが始まりです。
当時の雰囲気を少しだけ味わえます。
また、のんびり散策するのにもちょうどよい道です。通勤通学の時間帯以外は時折散歩する人がいる程度です。
堤防の向こう側に降りることもできます。向こう側にも川沿いの道があって、鏡川に架かるいくつかの橋の下を通るため、信号を待つ必要がないのでよく自転車が通ります。ウォーキングや犬の散歩をしている人もよく見かけます。車は入ってきません。
時間があれば、龍馬も親しんだ鏡川を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか。
夕方には鏡川の魚が跳ねます。西日がとても眩しいのですが、龍馬も同じように眩しいと思いながら、この辺りを歩いたことがあるかもしれません。
そのまま西に歩くと、30分近く歩くことになりますが、以蔵さんの首が晒された鴈切河原まで行けます。
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龍馬が14歳から19歳まで通っていた日根野道場は、はっきりした場所がもうわからず、この辺りにあったという表示がかろうじて残っているくらいです。
上の地図は路面電車の「上町一丁目」電停からの道のりです。
龍馬の生まれたまち記念館や、龍馬の生家があった辺りも近いので、行き方についてはこちらの記事を参考にどうぞ
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上町一丁目交差点をまっすぐ南へ向かうと、短い坂道に突き当ります。
その坂道を上がってすぐ右手の辺りに、道場跡の表示があります。 見つけやすいはずですが、季節によっては写真のように生い茂る草に埋もれそうになっているかもしれません。
せっかく来ても、残念ながらこれしかありませんが、登ってきた短い坂道を川の方に降りると、こんな景色が目に入ります。
当時から、この辺りは「築屋敷(つきやしき)」と呼ばれていたそうです。 龍馬が生まれる130年ほど前、町民達が許可を得て石垣を築いたのが始まりです。
当時の雰囲気を少しだけ味わえます。
また、のんびり散策するのにもちょうどよい道です。通勤通学の時間帯以外は時折散歩する人がいる程度です。
堤防の向こう側に降りることもできます。向こう側にも川沿いの道があって、鏡川に架かるいくつかの橋の下を通るため、信号を待つ必要がないのでよく自転車が通ります。ウォーキングや犬の散歩をしている人もよく見かけます。車は入ってきません。
時間があれば、龍馬も親しんだ鏡川を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか。
夕方には鏡川の魚が跳ねます。西日がとても眩しいのですが、龍馬も同じように眩しいと思いながら、この辺りを歩いたことがあるかもしれません。
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