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高知城の記事はこちら → 高知城 1  高知城 2 高知城 3


高知城への行き方です。

高知駅から行くなら、

 

1 JR「入明(いりあけ)駅」から歩く

 

2 路面電車を乗り継いで電停「高知城前」まで行ってから歩く

 

3 路線バスでバス停「高知城前」まで行ってから歩く




はりまや橋から行くなら、路面電車が本数も多くてお勧め。
バスでも行けます、はりまや橋の案内所で乗り場と路線を確認しておくと乗り間違いを防げます。



以下、詳しく説明します。



まずは高知駅から行く場合

本数は少ないのですがJRで入明まで行って歩くのが早いと思います。
ただし10分ちょっと歩きます。





時刻表はこちら→高知駅時刻表
「伊野」「須崎」「窪川」方面。
特急に乗ってはいけません。
「高知」の次が「入明」です。2~3分で着きます。170円です。



JRは一時間あたりの本数がとても少ないので、長く待たないといけないようなら、路面電車か路線バスで「高知城前」まで行って歩く方法になります。
こちらの方が歩く距離は短いので、歩く距離の短さを優先するなら最初から路面電車か路線バスを選ぶのがお勧めです。


高知駅の北側にあるバスターミナルで、「高知城前」バス停まで乗り換えなしで行けるバスを聞いてみてください(乗り換えると時間もかかるしバス代も高くなります)。
乗り換えなしだと15分ほど、200円です。

バスの時間まで少し待たないといけないようなら、路面電車で行きましょう。
本数は路線バスよりもずっと多いのですが、はりまや橋で乗り換える時間がかかります。
乗り換えの電車が中々来なかったとしても、高知駅から20分あれば着きますが、通勤通学の時間帯、特に雨の日は、路面電車はすごく混むのでもっと時間がかかります。
乗り換えの際は、はりまや橋で200円を払って降りる時に、乗り換え券を必ず貰ってください。運転手さんがすぐに渡せるように用意していますので、乗換券をくださいと言えば貰えます。



路線バスと路面電車を比べると、乗り換えの手間がないという点では、路線を間違えなければバスの方がお勧めです。
本数が多いという点では路面電車の方がお勧めですが、はりまや橋で乗り換えないといけません。
状況に応じて選んでください。金額は同じ200円です。

下の地図は、はりまや橋方面から行く場合の、「高知城前」バス停で降りてからの道のりです。
バス停は日本銀行前にあります。すぐ近くの百十四銀行のある交差点を右に入りまっすぐ歩くと、お城が見えてきます。
路面電車で行く場合も、電停は同じ交差点付近にありますので、百十四銀行とは反対側(北に向かって)信号を渡りまっすぐ歩くと、お城が見えてきます。








はりまや橋から行くなら、路面電車でもバスでも行けます。
バスの場合は乗り場と方向を間違えないよう、案内所で確認しておくと確実です。


高知城の記事はこちら → 高知城 1  高知城 2 高知城 3


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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。


 

高知城 2 」の続きです。

 

 

 

順路に沿って進みます。

本丸御殿と天守閣が両方残っているのは高知城だけだそうです。

本丸にしては小さいなという感想を持つ人もいるかもしれません。二の丸や三の丸に広い御殿ができるまでは、藩主は実際にここに住んでいたとのことですが、高知城は一度火災でほぼ全焼しており、初代の本丸は豪華だったようです。現在の二代目は質素です。火災から再建まで結構年月をかけているので、財政難だったのかもしれません。

 

広い御殿に引っ越してからは、本丸御殿は生活の場から儀式や応接などの場に変わったようです。

 

手前が藩主の部屋。一段高くなっています。

 

ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」での高知城三連戦。
二戦目のマスは、本丸御殿内部ではないかと考えています。
この辺りではなかったでしょうか。



藩主の部屋の後方から、天守閣の建物に入ることができます。
まるで蔵の入り口のような雰囲気です。

以前はここでスリッパを履けるようになっていたのですが、現在はコロナウイルスの影響かスリッパが撤去されています。

 

 

中は色々な資料が展示されています。



階段がとにかく急です。足元にも頭上にも気をつけてください。ロングスカートで行く場合は裾を踏まないよう要注意です。

 

当時の高知城の模型もあります。



写真に黄色と赤色の線を付け加えました(実際の模型にはありません)。
黄色がメインルートです。
赤の線はこのブログで紹介した、黒鉄門から本丸に向かうルートです。
何もない広場を通ってきているのですが、当時はこんなに広い屋敷がありました。
右部分の奥の屋敷には、藩主の住まいがあり、政務もここで行っていました。
今では僅かに、藩主の部屋に面していただろう庭の名残が、広場の一角に残っているだけです。

右側手前の屋敷も、もう何も残っていません。
当時の人々が見上げていたお城は、今とは違ってもっとたくさんの屋根が見えていたのではないでしょうか。

現存しているのは、左半分の天守閣周辺のみです。


 

 

急すぎる階段を頑張って登った先に、ゲーム刀剣乱舞イベント「文久土佐」での高知城三連戦の三戦目の舞台となった最上階があります。

さあ、刀剣乱舞アプリの「お供機能」を使って存分に写真を撮ってください。

それほど広い部屋ではありません。


ベランダ部分(高欄)にも出られます。

高所恐怖症の人は無理です。

 

現在工事中のため、上の写真の高欄は仮のものです。

以前の高欄はこんな感じでした。


 

こちらの方が、より「文久土佐」の背景イラストに近いですね。

令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。

これ以後の方が、刀剣乱舞ファンにはお勧めかもしれません。

 

 

登る時に苦戦した急な階段ですが、本当に危ないのは降りる時です。

刀剣乱舞ファンの中には、キャラクターグッズをバッグに忍ばせたり、ぶら下げている人がいるかもしれませんが。

階段で苦戦しているうちに落とさないように注意してください。

私は足腰に自信がないので、いつも手すりにしがみつくようにして降りています…


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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。令和211月後半~令和3129()は工事のため仮の高欄もなくなります。

高知城 1 」の続きです。


天守閣や本丸御殿に向かうルートは二つあります。

まずは、広い階段を登り切って、当時は橋廊下と呼ばれていた、家臣の詰所だった建物内を通る、殆どの観光客が利用するルート。

もう一つは、少し回り道をして「黒鉄(くろがね)門」から向かうルート。少し時間はかかりますが、階段も観光客も少なめになります。

 

ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」では、高知城は三連戦でしたね。

個人的な解釈なのですが、一戦目のマスは、この「黒鉄門」前辺りではないかと考えています。

 

 

 

藩主の儀式の時にだけ利用されたという、小さめの門です。

高知市街を一望できるとても見晴らしの良い場所ですが、当時は左側にも塀があったようです。

右側の壁のすぐ向こうは本丸です。

この門から攻め込もうとしても道が狭いため、銃で攻撃するために壁に空けられた穴から狙われ放題で逃げ場もなく、攻略は中々難しそうです。

 

広い階段を延々と登るメインルートからでも黒鉄門には行けますが、階段も観光客も少なめになるので、黒鉄門から入るルートを紹介しておきます。

 

大手門から始まる広い階段を頑張って登っていると、左に入る小さな道が2、3か所あります。どこを入っても、上へ上へと向かえば天守閣に行けるのですが、結構回り道になってしまうこともあります。

それほど時間のロスもなく行くとすれば、「詰門」脇の道から入っていくのがお勧めです。

天守閣の建物に沿って歩くルートです。

広い階段を登り始める前、大手門を入ったところにある案内板で先に「詰門」の場所を確認しておくのがお勧めです。

 

 

ここが本丸の入り口かと一瞬間違える観光客もいるかもしれませんが、最初から間違えやすいように造られています。この辺りは高知城の防衛上とても重要で、少し手前は小さな桝形になっているのですが、当時は門がありました。敵が門を突破できても狭い桝形の上から攻撃される、それをすり抜けられても正面に広い階段と大きな門のようなものがあるのでつい行ってしまう、すると石垣の上からまた攻撃されてしまうという仕組みです。しかも詰門の向こうに本丸への道が続いているわけではありません。メインルートは右手にある階段です。

 

詰門は、空堀に架かる橋と家臣の詰所を兼ねた建物です。物置や貯蔵庫の役割もあったようです。

この詰門の正面まで行くと、左に小さな道があります。

 

 

 

天守閣のすぐ側を通る道です。

忍び返しや石落としが残っているのは高知城だけらしいです。

 

 

この細い道から、黒鉄門に行けます。

 

途中に鐘撞堂があります。最初は二の丸にあり何度か場所が変わり、戦後にこの場所に移されたそうですが、武市先生や龍馬はこの鐘の音を耳にしたことがあったのでしょうか。

 

 

 

黒鉄門を抜けると、小さな広場があります。

メインルートから行ってもここに着きます。

刀剣乱舞のゲームでも舞台でも、南海先生が「本丸御殿前」と言っていた場所です。

 

本丸御殿や天守閣に行くには、入り口で靴を脱ぎ(靴箱あります)料金を支払います。

18歳以上420円、未満は無料。

各種割引があります。一日乗車券など。



ほんの少しですが、グッズも売っています。


続きはこちら → 「高知城 3


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※現在、高知城の天守高欄は改修工事で仮の高欄になっています。天守閣最上階のベランダみたいなところです。
令和2年11月後半~令和3年1月29日(金)は工事のため仮の高欄もなくなります。

ゲーム刀剣乱舞のイベント「文久土佐」でも舞台刀剣乱舞の「維伝」でも、最後は高知城が舞台になりました。刀剣乱舞ファンなら高知城は外せないのではないでしょうか。

その高知城は、他の現存するお城の中では小ぶりですが、パンフレットには「日本で唯一本丸の建築群が全て現存」と書いてあります。規模は小さいのですが、ぜひ訪れてみてください。

 

 

天守閣が小ぶりな割には立派な大手門を抜けると、左手に階段があります。

登り口に自由に使える杖があります。他のお城同様、延々と階段を上ります。

階段の登り口付近にあるトイレはウォシュレットで綺麗なので、お城に登る前にここのトイレを使っておくことをお勧めします。

 





 

数は少ないのですが無料ロッカーもあります(17時15分まで)。


 

階段の登り口にあるのは、板垣退助の像。

舞台刀剣乱舞の維伝でも、一瞬登場しますね。
龍馬が「乾退助」と呼びかけた人です。

吉田東洋に見いだされ、特に維新後に大活躍した政治家で、昔の100円札の肖像にまでなりました。でも二十歳ぐらいまでは、喧嘩が元で蟄居生活を命じられるような、勉強嫌いで喧嘩ばかりを求める困った不良でした。龍馬並みに資料の多い人なので、気になる人は調べてみてください。


 

階段は最初は、登りやすくて杖はいらないように感じます。

 

しかし徐々にしんどくなってきます。登り口にある杖を使わない人の方がずっと多いのですが、天守閣の最上階へまで道のりは結構疲れます。無理をしないようにゆっくり登ってください。

夏はかなり汗だくになると思います、運動不足気味なら息も切れます。

 

 

 

広い階段を登っている途中、かつては広い屋敷があった、三の丸という広場があります。

階段からは見えませんがここにもトイレがあります。本丸御殿や天守閣にはありませんので、トイレはここで済ませておきましょう。

ここのトイレも綺麗ですが、階段の登り口にあったトイレの方が設備が整っているので、階段を登り始める前に済ませておくのが一番お勧めです。

 
 続きはこちら→「高知城 2

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