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高知県立坂本龍馬記念館は、桂浜の近くにあります。桂浜から歩いても簡単に行けますが、小高い丘の上なので少々疲れます。
高知市街地の、龍馬の生家があった辺りにある「龍馬の生まれたまち記念館」とは別です。名前が似ているので混同しないよう気を付けてください。
桂浜の一つ手前のバス停で降りますので、行き方は桂浜と同じです。
こちらを参考にどうぞ → 桂浜への行き方
最寄りのバス停「龍馬記念館前」から坂道を登ると数分で見えてきます。
写真の右側にある建物に受付があります。
ちなみに、この写真のさらに左側にもう一つ建物があります。
公共の宿「国民宿舎桂浜荘」です。レストランは宿泊しなくても利用できますが、飲み物だけの時間帯もあります。また繁忙期は利用が難しい時があるらしいです。
展望風呂の日帰り入浴も可能です。詳しくはこちら→国民宿舎桂浜荘
龍馬記念館の建物はとても綺麗です。もちろんトイレもすごく綺麗。
ロッカーも受付付近にあります。
館内は、写真撮影が大丈夫な箇所もありますが場所によっては禁止なのでよく確かめてください。
企画展示や通常展示を全てじっくり見ていこうとすると結構時間がかかります。
龍馬が暗殺された時の近江屋の部屋を復元したものもあり、「靴を脱いでお入りください」と注意書きがありました。
龍馬は部屋の奥、掛け軸の前辺りに座っていたそうです。復元された部屋に入ってみて、ぜひ当時の雰囲気を体感してみてください。天井が斜めになっていて、窓際の辺りは結構低くなっていたことなどが分かります。
暗殺時の血痕が付いた掛け軸と屏風の複製が別の展示室にありますが、それらも一緒に復元されています。複製ですが血痕が残っているものを実際に目にすると、暗殺の瞬間を色々想像してしまいますね。
建物内にはカフェなどはないのですが、ちょっとした休憩スペースがあります。
自販機もあります。
休憩スぺースからも、海が見えます。
路線バス桂浜線は、短い距離ですがこの海岸沿いの道を通ります。
屋上からも海が見渡せるので、ぜひ行ってみてください。
天気が良い日は特に綺麗です。
売店は出口付近にあります。
渡り廊下で隣の建物に移動しているので、ロッカーに荷物を預けている場合は再度、受付付近に戻ることになります。
もちろん中を通っても行けますが、一度外に出てから隣の建物に向かう方が早くて簡単です。
入口がある建物と出口がある建物の間の道の先には駐車場と遊歩道があり、そこからも綺麗な海を眺められます。
龍馬記念館のある辺りには、古くから浦戸城というお城がありました。
そこに長曾我部元親が新たに築城したのは、三層の天守閣や本丸をはじめとする大規模なお城でした。
記念館や桂浜荘がある辺りに本城があったとのことです。
残念ながら、当時のものは何も無く、石垣の一部と堀切が森の中に僅かに残っているだけです。
堀切は、駐車場の隅から続く遊歩道の先にあるとのことです。
記念館に行くには、桂浜の一つ手前のバス停で降ります。
こちらを参考にどうぞ → 桂浜への行き方
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「龍馬のうまれたまち記念館」は、龍馬の家があった辺りにあります。
行き方は一番下を見てください。
桂浜にある「坂本龍馬記念館」とは別です。
高知市内中心部にある、龍馬の生家近くの小さな記念館です。
小さな記念館ですが交通の便が良くて行きやすく、龍馬がどんな空気の中で育ったのかを感じることができます。
記念館前の道はこんな感じ。
車も割と通りますが、写真右側に広い歩道がありますので安心です。
歩道と車道の間には、水路が通っています。
龍馬について調べていると「水道町」という地名が目に入ることがあるかもしれません。
その「水道」が、当時からあったこの水路です。
記念館の入り口。
小さな記念館です。入館料は一般300円。
龍馬が育ったのはどんな町だったのかがわかります。
龍馬の家の離れの再現もあり、靴を脱いで上がれます。
龍馬へのメッセージを書けるノートがあり、上の写真にも山のように積まれているのが写っています。
みなさんもぜひどうぞ。
記念写真コーナー。
自分が隣に座ってもよし、刀剣乱舞アプリのお供機能で撮っても良し。
持参したグッズと一緒に撮っても良いですね。
当時の町の様子。
刀剣乱舞で言えば、幕末の土佐の刀達が知っている景色でもありますね。
写真左側に、今も残っている水路のある通りが見えています。
右側は、多分路面電車が走る通り。当時は今よりずっと細い道でした。
お土産物は、受付のすぐ左側です。
トイレも綺麗です。
年中無休で朝8時から最終入館は18時30分まで。
行きやすい場所にあるので、ぜひどうぞ。
うまれたまち記念館のサイトはこちら。
https://ryoma-hometown.com/
規模は小さいのですが、企画展もチェックしてみてください。
また、ボランティアガイドさんがいるときは館内をじっくり案内してもらえますし、まち歩きガイドも数コースあります。詳しくは上記のリンクからどうぞ。
行き方ですが、龍馬誕生地の碑の近くです。
こちらの記事も参考にどうぞ→龍馬の生家があった辺り
路面電車でも路線バスでも行けます。
バスで行く場合、路線を間違えないように注意してください。
はりまや橋や高知駅のバス案内所で確認するのがお勧めです。
市内均一料金内なので200円です。
高知駅から行く場合は特によく確認してください。高知駅の北側にあるバスターミナルで、乗り換えなしで行けるバスを聞いてみてください。
(乗り換えると時間もかかるしバス代も高くなります)
最寄りのバス停は「上町2丁目」です。
(龍馬の誕生地の碑に寄ってから行くなら「上町1丁目」で降ります)
高知駅から路面電車で行くなら、はりまや橋で乗り換えます。
「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。
200円です。
高知駅から行く際は、乗り換え時に「乗換券」を忘れずに貰ってください。
最寄りの電停は「上町一丁目」です。
路線バスで行くなら「上町2丁目」
路面電車で行くなら「上町一丁目」
混同しないよう気をつけてください。
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龍馬が生まれた育った家は、ここにありました。
生誕地の碑があります。
路面電車が通っている大通り沿いです。
最寄りは路面電車も路線バスも「上町一丁目」。
路面電車の方が確実ですし本数も多いのでお勧めです。
路線バスは乗る路線を間違えないよう、高知駅やはりまや橋の案内所で確認してから乗ってください。高知駅からでも、乗り換えずに行ける便に乗れば200円で行けます。
高知駅から路面電車で行く場合は、乗り換えになります。
乗り換え方法については、こちらも参考にどうぞ。
→「武市先生の、高知市内の家と道場があった辺りへの行き方」
龍馬の生家がある辺りへ、はりまや橋から路面電車で行くには「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。200円です。
高知駅からはりまや橋経由で乗り換えて行く場合は、忘れずに乗り換え券を貰ってください。
11月の生誕祭には、たくさんの花で飾られます。
路面電車の通りに面していて騒がしい雰囲気の場所なので、ゆっくり過ごすという感じではありませんが、きっと当時も、この辺りは活気に満ちていたのではないでしょうか。

家紋のあるベンチとピストルの写真があるベンチが、車道に背を向ける形で置かれています。
生誕地の碑は建物に挟まれていますが、隣の病院や南側にあるホテルも全部龍馬の家の敷地でした。表玄関は路面電車の軌道辺りにあったという話もあるくらいなので、かなり広い屋敷だったことが分かりますし、裕福だったという話も頷けます。
実際に行ってみると、敷地の広さを実感できると思います。ぜひ、周囲を歩いてみてください。
ちなみに、本家である「才谷屋」跡も、歩いて数分の所にあります。
今は学習塾になっています。

才谷屋があった場所はこちらです
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龍馬が生まれた育った家は、ここにありました。
生誕地の碑があります。
路面電車が通っている大通り沿いです。
最寄りは路面電車も路線バスも「上町一丁目」。
路面電車の方が確実ですし本数も多いのでお勧めです。
路線バスは乗る路線を間違えないよう、高知駅やはりまや橋の案内所で確認してから乗ってください。高知駅からでも、乗り換えずに行ける便に乗れば200円で行けます。
高知駅から路面電車で行く場合は、乗り換えになります。
乗り換え方法については、こちらも参考にどうぞ。
→「武市先生の、高知市内の家と道場があった辺りへの行き方」
龍馬の生家がある辺りへ、はりまや橋から路面電車で行くには「鏡川橋 朝倉 いの 方面行き」に乗ります。どれに乗っても行けます。200円です。
高知駅からはりまや橋経由で乗り換えて行く場合は、忘れずに乗り換え券を貰ってください。
11月の生誕祭には、たくさんの花で飾られます。
路面電車の通りに面していて騒がしい雰囲気の場所なので、ゆっくり過ごすという感じではありませんが、きっと当時も、この辺りは活気に満ちていたのではないでしょうか。
家紋のあるベンチとピストルの写真があるベンチが、車道に背を向ける形で置かれています。
生誕地の碑は建物に挟まれていますが、隣の病院や南側にあるホテルも全部龍馬の家の敷地でした。表玄関は路面電車の軌道辺りにあったという話もあるくらいなので、かなり広い屋敷だったことが分かりますし、裕福だったという話も頷けます。
実際に行ってみると、敷地の広さを実感できると思います。ぜひ、周囲を歩いてみてください。
ちなみに、本家である「才谷屋」跡も、歩いて数分の所にあります。
今は学習塾になっています。
才谷屋があった場所はこちらです
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龍馬が14歳から19歳まで通っていた日根野道場は、はっきりした場所がもうわからず、この辺りにあったという表示がかろうじて残っているくらいです。
上の地図は路面電車の「上町一丁目」電停からの道のりです。
龍馬の生まれたまち記念館や、龍馬の生家があった辺りも近いので、行き方についてはこちらの記事を参考にどうぞ
→ 龍馬の生まれたまち記念館
→ 龍馬の生家があった辺り
上町一丁目交差点をまっすぐ南へ向かうと、短い坂道に突き当ります。
その坂道を上がってすぐ右手の辺りに、道場跡の表示があります。 見つけやすいはずですが、季節によっては写真のように生い茂る草に埋もれそうになっているかもしれません。
せっかく来ても、残念ながらこれしかありませんが、登ってきた短い坂道を川の方に降りると、こんな景色が目に入ります。
当時から、この辺りは「築屋敷(つきやしき)」と呼ばれていたそうです。 龍馬が生まれる130年ほど前、町民達が許可を得て石垣を築いたのが始まりです。
当時の雰囲気を少しだけ味わえます。
また、のんびり散策するのにもちょうどよい道です。通勤通学の時間帯以外は時折散歩する人がいる程度です。
堤防の向こう側に降りることもできます。向こう側にも川沿いの道があって、鏡川に架かるいくつかの橋の下を通るため、信号を待つ必要がないのでよく自転車が通ります。ウォーキングや犬の散歩をしている人もよく見かけます。車は入ってきません。
時間があれば、龍馬も親しんだ鏡川を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか。
夕方には鏡川の魚が跳ねます。西日がとても眩しいのですが、龍馬も同じように眩しいと思いながら、この辺りを歩いたことがあるかもしれません。
そのまま西に歩くと、30分近く歩くことになりますが、以蔵さんの首が晒された鴈切河原まで行けます。
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龍馬が14歳から19歳まで通っていた日根野道場は、はっきりした場所がもうわからず、この辺りにあったという表示がかろうじて残っているくらいです。
上の地図は路面電車の「上町一丁目」電停からの道のりです。
龍馬の生まれたまち記念館や、龍馬の生家があった辺りも近いので、行き方についてはこちらの記事を参考にどうぞ
→ 龍馬の生まれたまち記念館
→ 龍馬の生家があった辺り
上町一丁目交差点をまっすぐ南へ向かうと、短い坂道に突き当ります。
その坂道を上がってすぐ右手の辺りに、道場跡の表示があります。 見つけやすいはずですが、季節によっては写真のように生い茂る草に埋もれそうになっているかもしれません。
せっかく来ても、残念ながらこれしかありませんが、登ってきた短い坂道を川の方に降りると、こんな景色が目に入ります。
当時から、この辺りは「築屋敷(つきやしき)」と呼ばれていたそうです。 龍馬が生まれる130年ほど前、町民達が許可を得て石垣を築いたのが始まりです。
当時の雰囲気を少しだけ味わえます。
また、のんびり散策するのにもちょうどよい道です。通勤通学の時間帯以外は時折散歩する人がいる程度です。
堤防の向こう側に降りることもできます。向こう側にも川沿いの道があって、鏡川に架かるいくつかの橋の下を通るため、信号を待つ必要がないのでよく自転車が通ります。ウォーキングや犬の散歩をしている人もよく見かけます。車は入ってきません。
時間があれば、龍馬も親しんだ鏡川を感じながら散歩してみてはいかがでしょうか。
夕方には鏡川の魚が跳ねます。西日がとても眩しいのですが、龍馬も同じように眩しいと思いながら、この辺りを歩いたことがあるかもしれません。
そのまま西に歩くと、30分近く歩くことになりますが、以蔵さんの首が晒された鴈切河原まで行けます。
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